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ミノル・ヤマサキという人物

すごい人間です。あの世界貿易センタービルの設計者の1人だったんだって。
すごいね。


ミノル・ヤマサキ(Minoru Yamasaki、山崎實1912年12月1日 - 1986年2月7日)は、アメリカ合衆国の建築家。ワシントン州シアトル出身の日系二世。ニューヨークの世界貿易センタービルの設計者の1人。日系の近代建築家として、アメリカで確固たる地位を築く。AIAのファースト・オナー・アウォーズで4度(Honor3度、Merit1度)受賞。


生涯
1912年12月1日に富山県出身の日系移民の子としてシアトルに生まれた。父親は靴職人だった。建築家を志したのは、建築家であった母方のおじの影響だった。学費を稼ぐためにアラスカの鮭の缶工場で働き、ワシントン大学の建築学科を首席で卒業。ニューヨーク大学大学院(夜間部)で修士号を取得した。不景気と人種差別のため瀬戸物の包装などの仕事をしていたこともあった。

真珠湾攻撃の2日前に、日系アメリカ人のピアニストであったテルコ・ヒラシキと結婚。その後、シュリブ、ラム&ハーモン事務所(エンパイアステートビルの設計をした事務所)、ハリソン、フォールオウクス&アブラモヴィッツ事務所(ロックフェラー・センターの設計をした事務所)、レイモンド・ローウィ事務所(世界的に有名な工業デザイナーの事務所)などニューヨークの有名な建築事務所を渡り歩き修行した。

1945年、大手設計事務所スミス・ヒンチマン&グリルス事務所(所員600人)のチーフデザイナーとなる。1949年、スミス・ヒンチマンの事務所の同僚だったジョージ・ヘルマスとジョセフ・ラインウェーバーをパートナーとしてデトロイトとセントルイスに事務所を開設した。これによって注文が殺到し、過労により胃潰瘍を繰り返し、一時危篤状態にまでなったこともあった。その後、パートナーを解消し、セントルイス事務所は、ヘルマス、オバタ&カッサバウム事務所(HOK)に、デトロイトは、ヤマサキとラインウェーバーを中心に存続した(1959年にヤマサキ&アソシエイツに改称)。

1955年、ランバート・セントルイス国際空港の設計で、翌年にはプルーイット・アイゴー団地の完成で注目される。ヤマサキは、パートナー事務所を開設後、4度もアメリカ建築家協会(AIA)の[[ファースト・オナー・アウォーズ]において受賞している。そして、1970年代初めには、彼の代表作である世界貿易センタービルに取り組むことになる。


引用『ウィキペディア(Wikipedia)』
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2007年11月06日 20:10に投稿されたエントリーのページです。

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